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アニメみたいに髪の色がカラフルな世界だったら

プリキュアや、他にも少し昔のアニメなんかだとキャラの区別をつけやすくする目的からか髪の毛の色がとてもカラフルである。


ピンクとか赤とか青とかすごい派手な髪の毛の色の人物が普通な感じで登場する。

現実でも髪を原色などに染めるオシャレはあるがそこまで一般的でもないだろう。


アニメの場合だとカラフルな髪はメインキャラクターのみで、サブキャラクターや通行人は黒色や茶色など普通の色が多かったり、男のキャラクターは女キャラより普通の色の割合が多いが、もし現実にもともとの髪の色が金(白)〜黒だけでなくもっとカラフルな色で生まれてくる世界だったらどんな感じか想像してみた。


まず、学校の女子グループなんかは髪の色が似た女の子で集まる傾向ができるような気がする。

黄色〜赤のグループと紫〜緑のグループに大雑把に分けられて、だいたい暖色系は明るいキャラ、寒色系は暗いとか個性派みたいに大雑把に括られることも多そうだ。


そしてピンクの髪の女の子はなんだか特別なポジションになるんじゃないだろうか。

生まれつきの髪がピンクなだけで可愛さ五割増しみたいな風潮ができてもおかしくない。

逆に男性だとちょっとコンプレックスになっちゃったりもする。


ピンクの髪の女の子はちょっと特別みたいな立ち位置で、育児サイトにも赤ちゃんの髪がピンクになるには妊娠中に何を食べたらいいかとか出てきそうだ。

そのため女の子で青とか緑の髪だと思春期に一度コンプレックスになったりしそうだ。

逆に髪はピンクなのにブスなのでからかわれて辛いとかそういう悩みも出て来るだろう。

ピンク至上主義は昔の話で今は寒色系の髪が魅力的だとかそういう風潮も作られつつあって、寒色系の髪のモデルとかが憧れの対象になったりする。


寒色系でも薄いパステル系の水色とかミント色みたいな感じだと、濃いオレンジとか濃い赤よりかわいいみたいな風潮もあるかもしれない。

ピンクでもビビッドピンクだと、ビッチっぽいとか頭が悪そうに見えるみたいなネガキャンもあると思う。


男の場合は逆で、寒色系でビビッドな色の方が男らしくて良しとされるだろう。


異性の好みに髪の色という項目が普通に存在して、出会い系サイトには髪の色が入力の必須項目になってたりするかもしれない。ピンクの髪のブスと緑の髪の美人ならどっちがいい?とかの質問もありそうだ。

またピンクの髪を好む男性は自分に自信があるリア充とか、キモオタは寒色系の手の届きそうな女の子を狙うとかもあるだろう。


なんとなく女性で異性の髪の色にこだわりを持つ人は男性よりも少ない気がする。


寒色系で濃い色=男らしいとか暖色系で薄い色=女らしいとかでモテに直結したりする。

その風潮はジェンダーイメージと色のイメージの結び付きで性的役割の固定化とかで文明が進むにつれて徐々に薄まっていくため、人気の芸能人やモデルなんかの髪の色の傾向でその国や地方のジェンダーリテラシーレベルを測定したりしてそうだ。


GAPやベネトンやアバクロなんかではわざと薄いピンクの髪の男性モデルや、濃い緑の髪の女性モデルを起用したりもありそうだ。


髪の色で血液型みたいな性格傾向の分析占いみたいなのがたくさんできるだろう。


黄色の髪の人は外向的で明るいとか、紫の髪の人は個性的だとか、薄い髪の色だと周りに合わせる性格で、濃いと我が道を行く性格とか、補色同士は相性が悪いとかの色のイメージに短絡的に人格を結びつけたものでも、星座や血液型と違って一目で判断がつくためまわりにそういう性格として扱われやすく、ある程度は髪の色で本当に性格がわかったりもしそうだ。

それによって仕事によって髪の色の傾向が偏りやすいとかそういうこともありそうだ。

銀行員は青系の髪が多いとか、お笑い芸人は黄色系が多いとかそう言う感じだ。


金とか銀とかだと別に普通の人でもなんだか特別な人なんじゃないかという印象を持たれたりして、そのせいで破滅したりする人も出てきそうだ。


逆にこの色の髪だからこんな感じの性格かと思ったら全く違ったとか、こういう髪だから違う性格だと誤解されて辛いとかで悩む人も多そうだ。


議員なんかだと、自分の髪の色に合わせてイメージ戦略がマニュアル化されてたりもするかもしれない。


髪と性格イメージが結びつきやすい社会だと髪を染めることは違法でなくてもものすごい嘘つきで、信用できない人物だと思われることもあるだろう。

国によっては髪を染めることは違法の国もありそうだ。

特に違う色なのにピンクに染める女の子とかは詐欺だとか言われそうだ。


しかしそういう風潮は息苦しいのでインスタなんかで#hairdyeing みたいなタグが爆発的に流行ったり、毛染めを告白するアメリカとかの有名人とか出てきたり、髪を染めなくても自分の髪の色のタグをつけて髪の色のステレオタイプとは違う行動をしている写真なんかが流行ったり、問題提起されたりしそうだ。


髪の色は一目でわかるので、ナチスみたいな政権がでてきた国ではその国の政策にそぐわないイメージの色の髪の人を迫害したりすることも起こりそうだし、そういう歴史があった場合髪の色で相手を差別したり、決めつける人は髪の色差別主義者のような言い回しで批判されるのかもしれない


色の呼び方に対しても今より慎重になるだろうし、今までの世代だと紺色の髪がコンプレックスだったけどミッドナイトブルーとかの言い方が定着した世代だと紺色でもコンプレックスではなくなったり、逆に罵倒語のような色の言い方も増えるだろう。


また、人間に黒はありふれた色だが、こういう世界だと黒は一種特別な色で、ある地域ではものすごい迫害をうけたり、逆に神聖視されたりもするのかもしれない。

中二病のあるあるに髪を黒に染めるとか入りそうだし、メタルやビジュアル系の人はは黒色に染めたがるだろう。


服の色なんかも今よりもものすごくたくさん種類ができそうだ。

ファッションでも緑の髪に赤い服はセンスが悪いとか紫の髪に紫の服も変だとかのルールがあって自分の髪に合う服を選ばなければならないので流行のサイクルは遅くなるだろう。

制服を採用する機関も少なくなると同時に、特定のイメージの髪の色に調和する制服を採用して、特定の色を集める集団なんかも出てくるだろう。


髪の色が同じようなには親近感が湧きやすいため友達や恋人が同じ髪の色ばかりの人が出てきたりもしそうだし、この髪の色しか入れない会員制のバーとかもでてきそうだ。

家族で一人だけ髪の色が違う悩みもありふれていそうだ。

指名手配犯も髪の色が公表されるため、髪の色と犯罪率の関係なんかをこっそり調べる人も出てくるだろう。


特定の髪の色に良いイメージがある場合、兄弟感での扱いの差に悩んだり、この髪の色だからと期待されて結果エリートになる人もいれば、挫折して立ち直れなくなる人もいたりしそうだ。


男性の髪の色と年収の関係ようなコラムもたくさんありそうだ。

歴史上の人物の髪の色一覧なんてのもあって、それを見て自分の色の項目を見て、同一視してしまう人もいるのかもしれない。


そういう世界では髪がすべて白髪になった頃、やっと人の分類が無意味だと悟るのだろう。そんな気がする。


友達がたくさんいるのに孤独な人

友達がたくさんいるのに孤独な人という種類の人がいる。


はじめはどういうことかよくわからなかったが、そういう種類の人と付き合う機会がありどういうことかわかったのでここに書いておく。


私は彼らと話しているとよくわからない違和感を感じていた。

なんだかわからないがこの人たちといると変に居心地が悪い。

彼らと会うのはそれなりに楽しいができたら会うのは避けたいと内心では思っている。

会わなくて良くなった場合心が軽くなったような気持ちになる。

特に積極的に避けるような人たちではないのにどうしてそう思ったのか自問自答してみた。


そう言う人たちの会話の70%は質問で構成されている。

探偵の身辺調査のように根掘り葉掘りいろんなことを聞かれる。そして聞かれる内容はこちらの人となりについての質問ではなく私のわかりやすい外部的ステータスを示すことに対する質問である。


わかりやすい特徴として彼らは初対面の挨拶で年齢を聞いてくる。理由をきいたらまず年齢が上だったら敬語を使うべきだろうからと言われるだろうが、彼らの場合そういう理由は表面上の言い訳に過ぎない。

彼らはこちらの年齢を知ることによって、何歳ならこうしているべきのようなカテゴリーで人をまず分類する。もしその共通イメージにあっていなかったら下にみるいいネタになるからだ。歳下なら先輩面をしてアドバイスや説教という名目の押し付けがましい発言ができたり、歳上なら女性の場合、若さ至上主義の日本社会でで否応なく上に立てる。男性なら歳上なのに自分より何かで劣っていたらそこをつつける。という具合に彼らにとって人の年齢というものはどうしても知らなければならない重要な情報である。

そのため年齢を言いたくない女性などを激しく攻撃する。異性なら出産が可能かどうかなどの情報が欲しいから本能的なものだとか言う人もいるだろうが、初対面の相手に出産させるつもりなのは気持ちが悪すぎるので一種の値踏みに適当な言い訳をしているのだろう。


映画や本などの話でも、その映画や本が、どの程度権威のある人から評価されているかによってこちらの文化レベルを推し量る目的しかないため、共通のものを見ていても感想や解釈などを語り合うことにはならず、本当にただの質問だけで終わってしまう。

彼らは人間関係を自分より上か下かのような関係しか築けない。


そのため表面的でわかりやすいステータスを示す情報を欲しがる。


質問ばかりなのはこのためだろうと思われる。

家の家賃まで質問された時は驚いた。

彼らはプライバシーに関する質問を失礼だと感じる感覚が麻痺しているようにも感じる。

仲の良い友人同士の会話ではほとんど質問など出てこないが、彼らは何回会っても詮索じみた質問なしで会話ができないのではないかと思えるほどだ。

彼らは下にカテゴライズした人間は自分の下僕のように扱っても良い。自分に媚びへつらうべきだと考えているためなるべく自分が下になることを避けようとする。


そのため相手を下に見ることができる情報が必要なのだ。もし相手に下に見られ、媚びへつらうことを強要された時に、逆転できるカードを探しているようなものだ。

そしてその相手に勝っている部分の持ちカードが自分がどうしても勝てない場合、彼らは媚びへつらうか、嫉妬して妄想の中で相手の欠点を作り上げ、真実のように周りに吹聴する。彼らの中では自分の妄想であるのに吹聴するうちに真実になってしまう傾向もある。


また、気味が悪いほどに人のSNSもチェックして欠点を探している。彼らは嫌いな人間でもミュートやブロックを自分からすることは少ない。(優位性を示すために自分からブロックしても違うアカウントから見ていたりする。)


彼らはSNSで自慢ばかりしているが、それは自分の優位性を示す情報を相手に与えることにより自分は優位だから媚びへつらうようにというメッセージであることが多い。

自慢ばかりしている人が嫌われるのはこのメッセージによるところが大きいだろう。


また、彼らの特徴として、人との会話中によくLINEをいじっている。また、人の携帯の通知欄にLINEが来ていると当然のようにその中身を見て何かしら言うことを失礼なことだと思わない。特に通知欄の名前を見て、異性の場合それは誰なのか、どういう関係かなど質問されることがよくあった。


会話中にLINEばかりされると嫌なものなのでできるだけ避けるのが普通だが、彼らは自分には連絡を取り合う知人がこれだけいるということを誇示するためにどうでもいいLINEを会話中にしている確率が高い。


ひどい場合だと、会話中にナンパでLINEを交換した男とLINEをして、誘われるのうざいとか言われたことだ。ブロックすればいいのにと思っていたが、これも自分は異性から求められているということを周りに誇示したいためわざわざ皆の前で連絡をしていたのだろう。


私は、彼らと色々話したのに、会話の内容は何一つ覚えていない。

仲のいい友人だと、面白かったり心に残った会話は何年も覚えているものだが、本当に覚えていない。

彼らの間でも同じようで、友人の話をする場合、その友人がこんな面白いことを言った。こんな人柄でこんなことをした。という話は出てこない。その友人がこんなステータスを持っているいう話ばかりだ。


その場合、こんなに高いステータスを持つ人物と友人であるという自慢か、ステータスが低いのに勘違いをしているという悪口に分けられる。


ステータスが低い友人を見下すような悪口は、正直いちゃもんのような内容が多い。

自分よりブスなのにあの子はSNSに自撮りをあげているだとか、自分より学歴が低いのに難しそうな本を読んでいたとかだ。

つまり彼らの基準で下だと思っていた友人が、その人の基準では彼らと同等か、それ以上だと思っていることが許せないようである。

彼らはよく他人を調子に乗っている。などと批判するが、自分が勝手に下だと思っている人間が、自分では下だと思っていない。それは自分の基準=自分を否定されたことだから許せないということだろう。

また、彼らは人の行動に対し、すぐに〇〇をアピールしていると言いたがるが、それは自分が常に周りに自分の優位性を示していなければ不安になる心理の投影でしかない。


彼らは自分が下だと思った人間には求められていないアドバイスをしたがる傾向がある。

その人のためを思って言っているという名目だが、本音は自分より下の相手を自分の価値観でコントロールするのがものすごい快感なのだろう。


彼らの価値判断基準は様々であるが、彼らの判断基準にしている価値観の多くは、自分がその価値基準で評価されたことによってコンプレックスを強く感じたことが多いように思える。


つまり彼らが勝手に人を裁いている内容は、人を映し鏡にしてずっと自分のコンプレックスを人に話しているだけにすぎない。

彼らに勝手に下に見られ、勝手な基準で裁かれても本当は落ち込むことなどないのだ。

彼らは相手をやたらとカテゴライズしたがり、漫画のキャラクターのように一面的な人格を相手に見出して相手と関わろうとするが、彼らに勝手に作られた私のキャラクターは私と全く関係のないものに関わらず、彼らは勝手に自分が作り上げたキャラクター通りに他人が振る舞うように強制的な態度をとり、私本人よりも彼らの脳内で作り上げた私というキャラクターのイメージを優先するため、見当違いなのに決めつけるような発言が多い



彼らは他人など見ていないし関わってもいない。ずっと鏡に向かって話し続けているだけなのだ。


彼らは鏡に向かって話続けているが故に、たくさんの鏡を欲しがる。

そして鏡にたくさんのラベルを貼って、そのラベルに応じた自分の姿を見ている。

彼らの会話が質問だらけなのも、鏡に貼れるラベルは多ければ多いほどよく、そのラベルに優位性を示す情報が多ければ、その人と自分を同一視し優れているように感じ、そのラベルが自分より下ということを示していればいるほどその鏡には相対的に自分が美しく映るからだ。


彼らは上か下かを推し量る居心地の悪い関係しか作れないのにやたらと飲み会などの名目で人と集まりたがる。

友達が多いことや、忙しく友達と会っていることそのものに自分の優位性を見出しているところもあるだろうが、彼らはずっと自分しか見ていない故に一人になることができないのだ。


他人という鏡のない世界で自分と向き合うことが恐ろしくてたまらないため、彼らはやたらと人に会ったり、友人を増やしたがる。

彼らにうんざりしてすぐに離れていく人も多く、結局似た価値観の人で集まって見下しあいをする殺伐とした関係性の中に身を置かなければいけなくなった結果、常に比較ばかりして、比較ばかりされているため他人の物差しなしではなにもわからないし、他人の物差しのない世界は混沌としていて恐ろしく感じてしまうのだ。

彼らは自分と違う価値観を持っていたり、自分との差異を他人に感じると、それを他人を見下せる要素として処理する。そのため彼らは人と違うということを極端に恐れる。


人と違うということは、特別優れているから違うと感じない限り、見下され、酷い扱いを受ける要因になると考えるからだ。

たとえば白人や、白人とのハーフの人への彼らの態度は複雑である。

世界的な白人の優位性がわかっているため卑屈になったり、日本ではマイノリティの白人に対してなんとか上に立とうとしたり、白人ハーフ=美しい=上。といった要素のないハーフの人をいきなりハーフなのにブス、失敗なとど罵倒したりする。

白人が世界的に優位なので黙っていては見下されると感じるために過剰に反応するのだ。


また、英語ができることを誇示するために知らない白人に妙な質問を繰り返す人などもよく見るが、彼らにとって、英語で白人と話した自分ということしか頭になく、目の前の白人は人間に見えていないんだろうなと思うことが多い。


彼らは孤独である。


それは世界に自分一人しかいないから孤独なのだ。


しかし彼らの孤独を埋めることは本人にしかできないだろう。

人にコンプレックスをぶつけ続けても彼らはずっと孤独なままだ。


ブスとは何か

ブスとは何か。についてよく考える。

漫画などにおけるブスの表現は眼鏡をかけていたり、目が細かったりそばかすがあったり太っていたりたらこ唇だったり豚鼻だったり記号的に表される。

美容整形の記事などでも一重の目を二重にしたり鼻を高くしたりなどパーツを治すような記事が多い。

また、顔が大きいこともブスの条件になるため小顔になる方法などの特集なども多い。


しかし、ペネロピというファンタジー映画に鼻が豚になった美女が登場するが、鼻が豚なだけでいわゆるブスではない。ここまで極端でなくてもいわゆるブスの条件とされる目が一重だったり鼻が低かったり色黒だったりエラが張っていたり太っていたりしても必ずブスになるわけではない。

そういう要素を持った美人もたくさんいる。


漫画などに描かれているブスキャラと現実のブスを比べたとき明らかに漫画の表現ではブスを描き切れていないと思う。


例えば有名なブスキャラにはドラえもんジャイ子がいるだろうが彼女のブス要素は目が白い楕円に囲まれていないこととまつ毛がないこと、鼻が大きくて丸いこと、輪郭がしずかちゃんと比べ丸いことと太り気味なことだろうか。

サザエさんの花沢さんも睫毛がないとか豚鼻とか輪郭が丸いとか太っているとかそんな感じだ。


花沢さんやジャイ子と現実のブスを比較したとき違いがわかる。ブスとは記号ではあらわしきれないもっと細かいディテールの問題なのかもしれない。


たとえば漫画では表現しにくい、肌が脂性で毛穴が開いているとか、目の位置が上すぎるとか歯並びがガタガタだとか歯茎が出ているとか顎と首が繋がっているとか逆にしゃくれているとか口が飛び出しているとかブスの造形はもっと繊細でありダイナミックだ。


しかし私はパーツ自体はどんなに変な形や配置でも決定的にブスになる要素ではないと考える。

それよりも顔の凹凸によってできた必要ない影が一番ブスをブスにしている要素ではないだろうか。




例えば自撮りをするときに強い光で影を飛ばしてしまえばどんな人でも美人ではなくてもものすごいブスといった印象にはならない。

プリクラも目や輪郭の補正などはおまけで真価は大量のライトで照らすことにより影を消すことだ。

自己イメージよりも実際の顔は少しブスだという定説があるがこれは自分の顔が見慣れているから点数が甘くなるという理屈ではなく、自分の顔を確認するときに無意識に影をなるべく避けているからではないだろうか。


トイレには鏡が置いてあるが、トイレの鏡は例えば駅の汚いトイレでも必ず鏡の上にはなにかしら照明がついている。家の鏡は主にメイクをするときに使うため明るいところに置いてある人が多いだろう。パソコンやスマホのインカメでもパソコンやスマホ自体が面で発光しているため影ができにくい。


しかし実際には常に影ができないように強い光が顔に当てられているわけではないので顔には影ができる。


美人の場合顔の影は規則的だ。ほとんどの美人はタイプはちがっても同じ場所に影ができるだろう。漫画などでも誇張はされていても美人は美人の要素を表現できていると感じる。

しかしブスの顔の影はわけのわからないところにできる。例えば頬骨と口が飛び出していて常にほうれい線のような影ができているとか、顎が引っ込んでいるため口から下が影になるとか鼻が短く目の間にボクサーのような影ができるとか眼球が飛び出しているために亀の目のような影ができるとかそう言う感じの影だ。


整形してパーツが整ってもベクトルが違うブスにしかならない人がいるが、こう言う人の整形前は大抵顔に変な影がついている。

この影ができる要素を取り去った場合でもなぜか不自然な顔になっている。


整形して見違えるように綺麗になった人は大抵ブスの記号パーツがあるだけでもともと綺麗な凹凸をしている場合が多いと思う。


芸能人の整形前がブサイクなどとよく話題になるが、整形前の卒業アルバムでも目が一重とか鼻が低いとかはあっても顔の陰影自体は驚くほど整っている。


また、横から見たらブスというのも鼻の高さや唇が飛び出しているのが問題なのではなく陰影の問題だと思う。

鼻骨と頬骨に段差がなくそこに影ができなければ鼻は多少低くても横顔は美しい。

そこに頬骨との段差で影があればどんなに鼻が高くても付け鼻のように見える。

唇が飛び出していても唇から頬骨と顎にかけて変な段差の影ができていなければ美しく見える。

額が低くても眼球が額より出ておらず眼球の影が目の横にできてしまわなければ問題ないと思える。


つまりブスとは影の問題だと言える。

そのためブスではなくする化粧法はアイプチでも口紅でもなくファンデーションだと思う。ファンデーションや日焼け止めなどは光を反射するため、多少の影なら飛んでしまう。


化粧品の進化は、ファンデーションや下地がなるべくたくさんの光を反射させる方向に行くべきだと思う。プリクラ並みに光を反射させるファンデーションができたとしたらメイクさえすればブスはほぼいなくなるだろうと思える。




ポジション美人

閉鎖的なコミュニティでポジション的に美人キャラになっている、特に顔の造形は美人でもなんでもない女が大嫌いだ。

 

なんであいつが…という嫉妬もあると思うがそれだけじゃない。

 

例えば陰キャラばかりのグループやサークルなんかは男女問わずほとんどの人がブサイクな傾向があるが、その中で比較的マシな造形の女の子か、ひどい場合はスカートを履いてるとかメイクしてるとかモテ系に近いファッションセンスをしているからとかそんな理由でサツマイモみたいな顔の女がものすごい美人として扱われる。男の場合もジャガイモの集団の中の比較的形が整ったジャガイモがイケメンとされる。

 

オタサーの姫みたいな理屈に近いのかもしれないが、一般的なオタサーの姫がフリルを多用したアクシーズ的なファッションなのに対して美人ポジション女は女子アナ系に近い服装やメイクのことが多い。

近い、と言うのは女子アナ系の中では同じカテゴリにされたくないほどお粗末な完成度だったりするからだ。しまむらで買った安物の服でもなんとなくモテ系や女子アナ系の雰囲気さえ出しておけばいいからだ。

 

これの疑似女子アナ服はオタサーの姫的なフリルファッションよりキモオタ集団の中でかなり有効に働くのではないだろうか?

オタサーの姫がフリルを着るのは、オタクの中で、フリル=女=マンコがついてる、みたいな図式だと思われる。

オタクもネットで嫌と言うほど流れてくる情報によってアクシーズ系の服=ブスくらいの見解は持ち始めてしまった。

 

しかし女子アナ服は、そのファッションを選択することによってオタクの中で女子アナ服=美人という図式に入るのではないかと思う。

実際にモテ系ファッションをするのは平均よりスクールカーストが高く可愛いとされている女の子が多いため、記号的にオタクは女子アナ服を着ている女をモテる美人と認識してしまう。オタクは外部の女性への容姿の評価は厳しいが、仲間と認識した女性への容姿の評価は驚くほど甘いからだ。

一度集団内で美人とされてしまえば、よく見たら歯茎が出ていようが分厚いまぶたにアイプチをして白目を剥いていようがその女は美人でいられる。

この女を美人ということにしなければいけないという無言の集団の圧力が作用するからだ。

この女実際はブスじゃね。なんてとてもじゃないけど言えない空気になる。

もし言ったら男なら女の子に酷いことを言う奴。女なら嫉妬するブス認定されるからだ。

 

しかし、その女が美人というのはあくまでその集団内だけの話だ。

たとえば居酒屋などの大学のサークルのような集まりで微妙な女をやたら持ち上げているキモい男の集団なんてよく見かける光景だと思うが正直見ていられないほど痛々しい。

 

集団で暗示にかかっているカルト宗教の信者の集会を見てしまったような気分になる。

 

ポジション美人も満更ではないようで、ポジション美人になれなかった、素の造形では同じようなレベルの女の子を下に見だす。

当然反発もあるだろうがそのポジション美人をこの集団内の飛び抜けた美人だと思ってる男にはもはやブスの嫉妬にしか見えない。

男からしたらキモオタとは口も聞かないようなスクールカースト高位のモテ系美人が自分と話しているような感覚になるのかもしれない。

ポジション美人のなにが嫌かというと、安っぽい服を着た山出しのようなブスを美人と思わされる集団催眠のような同調圧力と、本来造形的な美醜とは関係ないはずの男に迎合した性格なんかで一人の美人を決め、他の女を間接的に貶める図式が出来上がることだ。

 

そしてそのポジション美人と付き合うことはその集団内で一目置かれることも意味するからポジション美人はモテる。

美人という記号を手に入れて自分の価値を高めたいという気持ちと同調圧力的にみんなこの子が好きであるべき、みたいな空気になってしまう場合もある。

 

ポジション美人は実体がない。ただその場に美人とそれ以外のような構造を作りあげるための傀儡のようなものだろう。

私はそれ以外に分類された女の子の気持ちを考えると悲しくなる。

 

自分と大差ないサツマイモのような女が美人とされ自分はブスかその他大勢みたいな扱いの差の理不尽さ。それを言ったところで嫉妬で片付けられる悲しさ。

ポジション美人とその他の分かれ目なんてモテ系の服を着てキャバ嬢的な男に迎合的な態度をうまくとれたかどうかの違いでしかない。キャバ嬢でも家庭的でもおっとりでも不思議ちゃんでもなんでもうまくその場の発言権の大きい男を嗅ぎつけていち早く媚を売ればポジション美人になれる。

〇〇ちゃんが一番かわいくて他は残念だの〇〇ちゃんが飛び抜けてかわいいだの言われるのにその〇〇ちゃんがブスだから歪で理不尽だ。

つまり、男に迎合してモテる子と造形的に綺麗な子とコミニュケーション力が高い子とかわけて考えればいいのにすべてごちゃまぜにするからこんなことになる。

ポジション美人は美人ではなく美人の記号を身につけたブスなんだけどブスを美人に変換できるなら美醜に囚われなくてもいいような気がする。

美人とブスの扱いの差なんてよく取り上げられるが美人ポジションとブスポジションの扱いの差ということもあるかもしれない。

あまりにもともとの造形レベルが違う子が同じ集団内にいることは少ないし、学校や職場ならともかくプライベートで交遊する関係になんてほとんどならないだろう。

腐女子が言う美人がスカートを履いて化粧をして髪が長い人という条件を満たした人のことみたいな感じだ。

つまり美人ポジションの女がいい扱いを受けているに過ぎない。

つまり造形的な美醜なんてほとんどだれも問題にしてないのにブスポジションに置かれた人は自分の造形がものすごくブサイクだからだと悩むことになる。

比較対象になる美人の造形が美しくないためアレ以下とか自分は相当ひどいと思ってしまう。

ポジション美人は美人ではなく美人というポジションの人で造形的には往々にしてブスであったりするのに、造形的にも美人だということになりがちだ。

私はそれが不愉快だ。

 

人が褒められると惨めになる

私は目の前で他の人が褒められるのを見ると惨めな気持ちになることがある。

毎回ではないけれど例えば私と友達がいた時にその子ばかりかわいいだのなんだの言われて私にはなにも言われない時とか惨めというよりなんだか褒めてる人に怒りが湧いてくる。


こんなことがあった。初対面のおばさんが私の前で目の前にいない友人をあの子可愛い子ね〜。芸能人の〇〇ににてるわ〜とか褒めちぎり出した。そのときなんなんだろうこいつと思った。本人に言えばいいのにどうして私に言うんだろう?これじゃ間接的に私のことをブスって言われたのとおなじなんだけど…とモヤモヤした。

ちなみにそのおばさんは歯茎やら頬骨やら色々出ていたとんでもないブサイクだったのでお前と比べたら私だって充分かわいいのになにこいつ死ねよ。と思ってしまった。

この件はかなり根に持っていてなんとか共通の知人からそのおばさんのFacebookでも特定して嫌味でも送ってやろうかと探したこともあったが歯茎くらいしか覚えてなかったので見つけられなかった。

 

いろんなサイトに人を褒めることはいいことで特にその場にいない人を褒めることはとても優れた人格の持ち主とか書いてあるがなんだか嘘くさい。

人が褒められたのを見て嫌な気持ちになるのは自己愛性人格障害だの常に自分が注目されていないと嫌な人だの書いてあるけど本当にそうだろうか?


心に余裕がないとか劣等感が強いとかそういう私の心だけの問題なのだろうか。

それもあるかもしれないけど目の前で違う女の子をずっと褒められて私はずっとスルーな場面は本当に泣きそうになる。一見誰も傷つかない優しい場面なのに死ぬほど辛い。

その場のみんなに優しくお前には興味ないし価値もないよって言われてるみたいな気持ちになる。

それを私に伝えようって意図はないかもしれないけど実際に私に興味なくてその人の中では価値がないからそういう態度なんだろうなって思う。

勝手に違う子と比べられて優劣を裁かれた挙句負けの烙印を押された感じ。強制的にミスコンに出場させられて一方的に負け宣告された感じ。

私はそういうときはっきり私に悪意を向けられたわけではないからなにも言えない。

そんなときいつもこの中の誰かが私に嫌味のひとつでも言ってくれたらいいのにって考えてる。

そうしたら待ってましたとばかりに罵倒を返してやれるのに。

でもそんなことは一度もないしただ、嫉妬なんてしてませんよってパフォーマンスのためにその子を形式的に褒めることを半強制され固まった笑顔を作ってその子を褒める。

 

これを読んだら私がブスなんだから仕方ないとかの感想が出てくるんだろうけど別に私はブスじゃない。顔の見えないネットでいくら具体的に証明したところでブスだと思いたい人は何言っても嘘かそういうのは実はブスだからだのとネットにありがちな「本当の美人論」を持ち出してくるだろうことがわかり切ってるので割愛する。

こんどはそういう捻じ曲がった性格が顔や態度に出てて嫌われてるとかそういうスピチャルな反論が出てくるんだろう。

人の本性なんてそんなに簡単ににじみ出ない。そういうのは顔から勝手に受けた印象に近い行動だけを拾ってるんだと思う。

褒められてる女の子はいい子って言われてるけど本当は人を見下す癖があって友達がどんどん離れていくようなタイプだったりするけどよく知らない人は可愛いいい子だと思っている。

 

なにが言いたいかと言うと偏って人を褒めるのは素敵でも人を幸せにする素敵なことでもなんでもなく褒められなかった人が惨めな気持ちになる最悪の話題だと思う。

 

元ヤンキー自慢をする人は避けた方がいい

男性と話していると自分が元ヤンキーだったというような話をしてくる人がよくいる。

ヤンキーの友達がいたとかそういうのを含めたらかなりの数の男性がこの手の話をしているのではないだろうか。

まあそうだろうなという感じの男性だけでなく、どう見てもコミュ障気味のオタク風の男性までこういう話をしていたのは驚いた。


しかし、中高生の頃を思い出すと、学校にもよるだろうがそんなにヤンキーなんていただろうか?田舎の工業高校出身とかならわかるのだが中高一貫の進学校出身で大企業勤務のような男性まで言い出すのはわけがわからない。

また、ヤンキーの大学進学率はあまり高くないのになぜ大学生にあんなに元ヤンキー自慢をする人がいるのかとも思う。


そういう場合、ヤンキーの基準が低いということもあるのかもしれない。

制服のズボンを下げて履いていたとか制服の下に赤いTシャツを着ていたとかこっそり煙草を吸っていたとかそういうのをヤンキーと言っているのかも知れない。


彼らは(ここでは実際にはヤンキーではなかったであろう男性)自分がヤンキーだった、またはヤンキーの友達がいるといった話をする場合、一応自虐的なポーズはとっているがとても誇らしげだ。なぜならヤンキーであった。ということは自分が中高生時代に高いスクールカーストにいた。ということを示すことに他ならないからだ。


そして私がなぜこういう元ヤンキー自慢をやたらとする人を避けた方がいいかと思うのは、彼らは中高を卒業して、大学生や社会人になってまでスクールカーストというものに強いこだわりがあるということだからだ。

どう見てもオタクみたいな人が言い出すパターンとかは特にそんな感じがする。



スクールカーストというのは狭い世界での序列であるが、実際にその男性がどんなポジションにいたかに関わらず、未だにスクールカーストに強く囚われているということ、そしてその中で高位のポジションに所属していたと喧伝したがるということは、その男性は狭い世界の序列を作りたがる傾向にあるということだ。


知り合って間もないのに相手の人柄よりも先に相手のステータスを知りたがる人などそういう傾向が強いのではないだろうか。


そう言う人はどんな関係にも上か下かを決めたがる傾向が強い。

上だと思ったら媚び、下だと思ったら偉そうにするなど、相手によって態度を使い分けるのが当然だと思っている。

だから相手のことを狭い基準で上か下かをやたら測りたがる。そのために相手の情報をさりげなく知ろうとする。

嫌われる確率が高いが、人目をとても気にするので一見まともに見えるがゆえ、よく知らない女性がこの人は特に問題ない人なのに彼女がいない、運がいいなどと考えて付き合ってしまったりするとDVやモラハラの被害に遭う確率が高くなる。


そして彼らはヤンキーであったことを喧伝はするがヤンキー文化やヤンキーそのものには軽蔑した姿勢を示すことが多い。


例えばワンピースやエグザイル、キティちゃん、ある種の国産車などヤンキーが好む文化に対しては程度が低い文化として蔑視する。

マイルドヤンキーなんかも小馬鹿にしていたりするが、ポーズとして一部のヤンキー文化は友達の影響で昔好きだったなどと言う場合もある。たとえば煙草の銘柄などはやたらと略したがる。


つまり、元ヤンキーであったことと、高学歴で社会的にわかりやすい成功を収めることや文化資本が高いことはうまくイコールにならないためおかしな矛盾が生じるが彼らの主張は要するに、俺は一貫して高位のポジションにいた。ということだ。多少矛盾が生じても逸脱と安定の両方の優位性だけ手にしたいということが優先されるのだろう。


例えば大学生や社会人になってまで中高生の時に高位のポジションにいたことを自慢されても困ってしまうが、彼らは俺は上のポジションの人間である。ということを主張したいわけだ。


元ヤンキーだった自慢は男性がやりがちだが、変に頻度が高かったり明らかに嘘なのに言っている男性は付き合う前に一度人格をよく観察した方がいいかもしれない。